自分にとって弓道とは
こんにちは。
今回は題の通り、自分にとって弓道とは何なのか記していきます。
結論から申し上げると、自分の「根幹」といえると思います。
その理由を述べるためにまずは僕自身の弓道の「ルーツ」をお話していきます。
僕は少し貧乏な家庭の長男として生まれました。
元気に外で走り回って多くの友達と遊ぶよりは、家でゲームをしたり自由帳で絵を描いたりして遊ぶインドアな子供でした。
思春期を迎えた小学5~6年生の頃、僕には悩みがありました。それは「運動音痴である」という悩みです。
体育や運動会で活躍する同級生への憧れや当時恋心を抱いていた女子への見栄が重なり、運動が不得意であることへの劣等感を募らせていました。今思うと目も当てられないほど不得意だったわけではないのですが、野球やサッカー、バスケとなると、所謂運動ができる子には到底かなわず、客観的に見て「パッとしない」男子だったと思います。小学6年生では足が速くなりたいという一心で陸上部に入りましたが、練習がきつくすぐについていけなくなってしまいました。
中学生になるとほとんどの生徒は部活動を始めます。その例に漏れず僕も部活動に参加することを決意しました。このときも運動ができるようになりたいという願望があったので、好きだった野球か陸上へのリベンジか、その2つで迷っていました。ただし野球や陸上は経験者が必ず入部することは容易に想像できましたから、果たして自分はそんな環境で活躍することができるのか・・・という不安も抱えていました。
母校の中学校では新入生向けに部活動紹介のための集会が開かれていました。各部活が普段の練習や魅力、昨年度の成績などを述べ、新入生の勧誘に励むのです。
そんななかで見たことも聞いたこともない部活動の紹介がありました。それが弓道部でした。
大人を優に超える長い弓、的を脇正面にして立つ先輩の美しい姿勢、大きく引き分けていく堂々たる射、響く弦音、放たれた矢が的紙を貫き大きな破裂音が体育館に響きます。
一瞬で目を奪われました。
なんてかっこいいのだろう。
そんな単純なことしか頭に浮かびませんでした。人間は本当に感動したとき、難しいことは何一つ考えられないのだと初めて実感しました。
それが忘れもしない僕が「弓道」とであった思い出です。
弓道部の紹介を見てから僕は弓道のことしか考えていませんでした。俺もあの長い弓を引きたい。弓道に経験者はいない(だろう)から、運動音痴でもレギュラーになれるかも。一番になれるかも・・・と。野球や陸上への未練など全て捨て去り、弓道部の門をたたきました。
そこからの僕は必死に弓道に励みました。先生や先輩から教えてもらったことをすぐに実践し、同級生の誰よりも上手くなれるように努力しました。当時僕は同じクラスのある女子のグループにいじめられていましたが、不安や不満を部活動にぶつけ解消していました。今思えば彼女らの存在が僕をここまで向上させてくれたのかもしれません。来る日も来る日も僕は1本でも多く中るように、あの堂々たる射を体現するために練習に明け暮れました。
小学生のころの苦い思い出と弓道に対する貪欲な気持ちから、先生の教えをスポンジのように吸収していきました。その教えが今の自分の「根幹」となっています。
その教えが、「あらゆる事象の原因は全て自らに起因する」というものです。
弓道を嗜む方であれば「発して中らざるときは 即ち己に勝つ者を怨みず 反(かえ)ってこれを己に求むるのみ」という文言を聴いたことがあるはずです。かの有名な「礼記射義」からの一文ですが、なんとはなしに僕はこの考え方が大好きです。「正射必中」も似たような考え方をします。正しく弓を引けば自ずと的に中る。周りを変えるのではなく自ら変わる。ここに謙虚さと誇り高さ、自分の芯を貫く不動の精神のようなものを感じ、いつまでもそうありたいと思い今に至ります。
この考え方を弓道以外でもしていることが自分の「根幹」たる所以でしょう。部活動や仕事のマネジメントでは本当にこの考え方に助けられていたように思います。他人に影響を与えることはもちろんですが、何より自分が最も影響を受けられるのが素晴らしいのです。特に年をとってくるとヒトというのはどんどん考え方が凝り固まっていきます。これは自らも実感しているところですが、いつまでも新しい考え方を取り入れて成長を続けていくためには必要不可欠なものだと、若輩者ながら確信しています。
弓道と出会っていなかったら、と思うと恐怖しかありません。弓道には肉体的にも精神的にも大きく成長させてもらいました。まだまだ弓道から学ぶことはたくさんあります。社会人弓道を本格的に始めてから学んだこともあるのですが、それはまた別に記したいと思います。
皆さんにとって弓道とはなんでしょうか。
一度原点に立ち返ってみると意外な発見や面白さがあるかもしれません。
お付き合い、ありがとうございました。